« ハロウィンディナー | トップページ | 「愛が微笑む時」-泣いたり笑ったりまた泣いたりの人生讃歌- »

2010年11月 1日 (月)

「第9地区」-もしもエイリアンになってしまっても-

カフカの「変身」みたいだ。突然人間でなくなったら、周りは冷淡になる。きっと今までまじめで誰からも好かれていたあなたも、急にこの映画の主人公ヴィカスのように、左手がエイリアンの手のように変化したら、周りは戸惑い、静かに、でも急速に、あなたを人間扱いしなくなるだろう。

人間扱いをされなくなった主人公を正面から受け止め、対等に接するのは、皮肉にも「エビ」と差別的に呼ばれるエイリアン親子だけだった。映画の中盤から、この健気な父エビと息子の「小エビ」にエールをおくっている自分に気がついた。小エビが愛らしすぎる!!そして、人間の子供よりも、ずっと賢い・・・

「第9地区」を見ていて、このシチュエーションは誰にでも、どこででも起こりうると感じた。急に伝染性の病気になったら、急に経済的に破綻したら、急に浮浪者になったら、急に会社での立場がなくなったら・・・左手がエイリアン化しないまでも、いつでもこの不安定な世の中で私たちは「エイリアン」になる可能性はある。そのとき、昨日まで一番そばにいた愛する人と会えなくなる、この映画の主人公の様には、絶対になりたくない。

本作のプロデューサーにピーター・ジャクソンが名を連ねている。彼の初期の監督作品に「乙女の祈り(原題「Heavenly Creatures」)」がある。ニュージーランドで実際に起きた「事件」を映画化したもので、思春期の女の子と母親との難しい関係を描いている。ケイト・ウィンスレットの映画デビュー作だ。

イギリスに移り住んで半年たったころ、毎週のように通っていたPhoenix Picturehouse という通常より安い料金で映画を見ることができる映画館で、留学生仲間と一緒に見た映画だ。日本を離れ、テレビからもラジオからも街中でもホームステイ先の大家夫婦からも聞き取りにくいイギリス英語を浴びせられて、ほとほと「エイリアン」になっていた私が、初めて最初から最後まで全てのセリフをほぼ100%理解した、初の体験だった。エンドロールが流れる間、涙が止まらなかった。子供のころから母親と難しい関係を持ち続けていた私は、映画の中の少女たちを見ているのが胃が痛くなるほどつらかったのと同時に、イギリス英語がきちんと聞こえるようになったことで「やっとイギリスに受け入れてもらった!」と感じ、立ち上がれないまま泣いていた。隣のスロバキア人の友達に「ケイコ、怖がらないで!ただの映画だよ。大丈夫よ」と肩を叩かれた夜を思い出した。

圭子

|

« ハロウィンディナー | トップページ | 「愛が微笑む時」-泣いたり笑ったりまた泣いたりの人生讃歌- »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「第9地区」-もしもエイリアンになってしまっても-:

« ハロウィンディナー | トップページ | 「愛が微笑む時」-泣いたり笑ったりまた泣いたりの人生讃歌- »