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2010年11月 4日 (木)

「わすれた恋のはじめかた」-中途半端な気がする・・・-

アーロン・エッカートの顎は「お尻」みたいだ。この人は私と同じ1968年生まれ。彼は三月生まれなので、学年で言うと彼の方が一学年上(勝手に「4月始まり」の日本の数え方でカウントしているが・・・)なのだが、どうも母性本能をくすぐるのだ、私にとって。

ジェニファー・アニストンは、普通の女の子を演じたら天下一品。人気ドラマ「フレンズ」の頃から、彼女に対する印象は変わらない。いつもとても健康的で、元気なgirl next door。

人気者の二人の俳優を起用して、こんなに中途半端な仕上がりになってしまい、残念な気持ちである。かなり期待して見たのだが・・・何もかもが中途半端な気がする。

アーロン・エッカート演じるバークは、自己啓発書の著者。自分自身、妻を2年前に交通事故で亡くしていて、愛する人の死を克服した経験を書いた本がベストセラーになっている。自己啓発のセミナーのためにシアトルのホテルに来ている。

そのホテル内の花のアレンジをしている、花屋を本職としている女性エロイーズをジェニファー・アニストンが演じている。二人はホテルで出会い、だんだん惹かれあうのだが・・・

まず、バークの自己再生(妻の死の克服、妻の父との関係の修復、自己啓発書で書いた内容に「嘘」があり、そのことをカミングアウトすることで、すっきりとした生き方を始める)と、バークの新しい恋物語(妻の死後数年間全くデートすらしていない、健康的なエロイーズとの出会いで新しい人生に光が見える)、恋に臆病になっているエロイーズの再生(ミュージシャンの彼の浮気、男性不信、バークとの恋愛の兆し)、バークの義父の苦悩(娘の死、娘婿バークが娘の死を「利用」して、儲かっていることの怒り、娘婿の苦悩を認識、許し、娘婿への愛)・・・と、盛りだくさんの数々の材料が、どれもかなりさらっとした味付けになっているのだ。一番残念なのは、魅力的なアーロン・エッカートとジェニファー・アニストンがどのタイミングで恋に落ちたか、よく分からないほど、恋愛模様の描き方が薄いことだ。

二人の出会う町シアトルも、恋が始まる、人生が再生される場所としては、どんなもんかな、という地味な描かれ方。雨またはどんより曇り空ばかりのシーンが映されている。人気映画「トワイライト」のように「バンパイアもの」だったら、明るい光を浴びるとちょっと困るエドワードたちにとってもワシントン州は格好のロケ地だろうが、暗い闇から明るい人生へのシフトの場、としては、やや暗すぎる場所だったのではないだろうか!?

でも、大好きなアーロン・エッカートを抱きしめたくなるシーンもあった。自己啓発のセミナーの会場に講師として入る前、ナーバスになって(自書では「嘘」を書いていて、まだ自分自身、悩みを解決していないのに、セミナー参加者の前で元気いっぱいな姿を演じなければいけない苦悩のためか)いるのだが、ドアを開ける一瞬前に、元気な顔を作って、ドアをバンっと開け、「イイェエエイ!みんな元気かーい!?」とノリノリでずんずん歩いていく姿。ドアを開ける一秒前に顔を「エイヤッ!」っと変えるバークの健気さに、ああ、アーロン・エッカートのこの顔を見れただけでも儲けもんだ、と思った。

圭子

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