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2011年2月17日 (木)

「トリコロール/青の愛」-失われた時を埋める、青の威力-

1993年はマーストリヒト条約発効の年。キェシロフスキ監督の「トリコロール三部作」の本作「青」も1993年の作品だ。劇中の重要な要素である「欧州統合」がタイムリーに扱われた作品、であるにもかかわらず、私はこの「青」を見ずして2011年まで生きてきてしまった。

なぜか?「赤」「白」は若い頃見たのだが、「青」には手が出なかったのだ。「青」のおおよそのあらすじを知り、「交通事故で家族を失い、自分だけが助かって生き残ったビノシュの物語」は、きっと見たら落ち込むに違いない、と勝手にこの映画を避けていたのだ。昨夜この映画を見終わって、「ああ、20年近く、時間を無駄にしたな」と後悔した。この映画を見た20年と、見なかった20年、私はこのビノシュを知らずしてビノシュの何を語ってきたのだろう!!?もしも「青」を見ていない人は、ひとり残らず見てほしい。映画の全てが入っている。あまりの興奮で、しばらく私の「青の時代」が続く予感がする。

先日週刊文春の阿川佐和子の対談相手がビノシュだった。ビノシュが「『トウキョウソナタ』は素晴しかった。」と語っていて、すごく嬉しかった。自分が「いいな」と思った「邦画」が、10代の頃からあこがれていたフランス女優も好きだなんて、こんな感動的なこと、ない。同じような感動を、イギリス時代、大学で友達になったベルギー人留学生が「TSUKAMOTO監督の『鉄男』サイコー」と言ってきたときに、得た。初めてイタリアに行った時、カフェで「お前中国人か?」「いや、日本人だ。」「おお、ミシマの国か。」「そう。私は三島を何冊か読んだ。」「え!?ミシマを読んだ!?すごい!わしは、ミシマを尊敬してるんだ。」という会話をイタリアおっさんとしたときにも、得た。日本はいろいろ問題を抱え、経済も、高齢化もとにかくさまざまなイッシューが山積みだが、本当にいいものが分かる世界中の人にはこの国の「文化」って、たまらなく魅力的なのだと思う。私は信じている。日本の文化の品質の高さを・・・

脇にそれたが、この「トリコロール/青の愛」により、ヴェネツィア国際映画祭にて女優賞を受賞しているジュリエット・ビノシュは神のようだ。「汚れた血」のときよりももっと短く刈りあげた真っ黒なボブカットで、最高の演技を見せる。要所要所で暗転し、ジャジャーンと壮大な音楽が流れ、画面に色が戻ったときのビノシュの表情に何度も楽しませられた。ビノシュ、単にすごすぎて、冷静になれない・・・

欧州統合のテーマ曲を作曲途中で事故死した夫に代わり、ジュリー(ビノシュ)とオリビエ(ブノワ・レジャンという俳優。なんとこの「青」が遺作)とで曲を完成させていくのだが、欧州統合(助け合う欧州)というテーマと共に、人間同士の「共存」をも描いていると私は感じた。

「失った人」「得た人」をテーマに比較すると:

①「家族を失ったジュリー」VS「死んだジュリーの夫の子を妊娠している愛人」

②「少年の剣玉がうまくいったとたんに車が木に衝突する事故に遭う家族」VS「剣玉がうまくいったとたんに事故を目撃する少年」

③「家族が死に、家を整理してパリのアパルトマンに移るジュリー」VS「ジュリー経由でジュリーの夫の遺産である屋敷を得る愛人(とそのおなかの赤ちゃん)」

④「事故現場で十字架のネックレスを失うジュリー」VS「事故目撃者で、最終的にネックレスをジュリーから得る少年」

⑤「夫の愛を失っていた(夫は愛人と数年前からの関係)ジュリー」VS「オリビエの愛を得たジュリー」(本人同士)

失う者と得る者同士は対立をせずに、融合して生きている、まるで現在のEUのように・・・

映画の中の青の世界に私も入り込みたいと思った。全く、絵画のように美しい映画だ。

圭子

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