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2011年4月19日 (火)

「CHOKE(邦題:セックス・クラブ)」-常識なんてクソくらえ!-

サム・ロックウェル演じるヴィクターは、喉にわざと食べ物を詰まらせて(タイトルの「choke」はそもそも「窒息」とか「のどに食べ物が詰まる」という意味)、その場にいる人に助けてもらい、お見舞い金を援助してもらうような「ペテン」をしていたり、せっかくセックス依存症の会に参加しても、参加メンバーの女性と将来性のないセックスをしたり、で、ボロボロの生き方をしている。前半は「なんやこのルーザー男は」と閉口ぎみで見ていたが、母親(アンジェリカ・ヒューストン最高)への対応や、母親が暮らす介護施設の女性ペイジ(ケリー・マクドナルド)との関係を見ているにつれ、どんどん「こいつは悪い奴じゃないかも?」と思えてくる。サム・ロックウェルじゃなかったら成り立たない役かもしれない。

原作はブラピとノートン卿競演傑作の「ファイト・クラブ」の作者によるらしい。「セックス・クラブ」という邦題はその流れでつけられたのかもしれないが、こんな邦題では女性はレンタルしづらい!割と後味がよいエンディング(「ファイト・クラブ」のノートン卿とボナム=カーターのラストシーンのように)だから、妙な邦題にめげず見てみていただきたい。

映画の中でときどき天使が目の前を通り過ぎるようなシーンがある。一見おつむの悪そうなストリッパーのお姉さん(源氏名「チェリー・ダイキリ」!)が新約聖書の中でのイエスに関することに関し知的に発言をしたり、ヴィクターが勤め先の「日光江戸村」的テーマパークのスタッフのイケイケお姉ちゃんのことを他のスタッフに説明するときに「She's a good girl.」と物凄く優しい声で語ったり、チェリー・ダイキリと出会い普通に恋に落ちた同じく「依存症メンバー」のヴィクターの親友デニーが、チェリー・ダイキリとの関係に関してヴィクターに批判されたときの、まじな表情での「彼女と会えたことが人生に起きた唯一のナイスなことなんだ」的発言など、「一見ダメダメ人間な人たちの、意外な神々しさ」の描写がある。印象的なシーンだ。そして、これらの描写(=人を見た目や職業で判断してはいけないぞ、意外な面を持っているかもしれないんだから、ということを示す描写)がこの物語のテーマなのかもしれない。世の中の多くの「普通」の感覚を持った人が見たら彼らは社会の「負け犬」たち かもしれないが、そんな彼らがダイヤモンドのように輝くシーンを随所にちりばめているから、気持ちよいのだ。こういう映画を見た後は世界が大きく広がったような感覚になる。心地よい。

いちばん怖いのは多数の人が押し付ける「常識」とか「偏見」だ。放射性物質のように目に見えないし匂いもしない。「世間の目」とか「みんなそうしてるから私も」的な「有害物質」に心が侵されないよう、ときには本作のような異常性満タンの作品で心を洗いたい。

とにかく、かなり不思議な設定(主人公の勤め先が歴史テーマパークのような場所だったり、ケリー・マクドナルド演じるペイジの「実は私は・・・」的自白も映画史上まれに見る大どんでん返しだったり)の連続だが、ラストのすがすがしさには、心地よい余韻を得た。

ケリー・マクドナルドが、「ノーカントリー」の時と同様に、スコットランド弁を封印してアメリカ人になりきっている点に努力賞をあげたい。国籍を越えた演技は並大抵ではない。彼女の相変わらずの愛らしい眉間のしわに乾杯。

圭子

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