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2011年5月 5日 (木)

「遠距離恋愛 彼女の決断」V.S.「スイートリトルライズ」-愛とは本音でいつもぶつかることか?それとも嘘も方便か??-

地獄を見て、そして地上に戻ってきた英雄、ドリュー・バリモアとちょっと小柄だけど声はどすが利いているジャスティン・ロングの見ていてかわいくて、元気になるラブコメ「遠距離恋愛 彼女の決断」を見た。アメリカ(合衆国)で遠距離恋愛をしたら、半端じゃなく、大変なんだな、としみじみした。時差はあるし、会いに行くにも異様にお金がかかる。そんな困難な、ほぼ「成就不可能」な状態を打破したのは、二人の本音のぶつかり合いだ。一緒にいたいし、同じ町に住みたいのはやまやまだが、どうしてもやりたい仕事があれば、それをあきらめてまで妥協するのは嫌だ、など、常に二人は本音を言い合う。時に危機はあるが、愛を惜しみなく表現し合い、乗り切っていく。

ドリューがジャーナリスト志望の大学院生には全く見えない(すまない!ドリュー。がらが悪すぎ!いい意味で)し、ジャスティン・ロング演じるギャレットもレコード会社社員と言っても、仕事場での描き方が浅い(いつもデスクに座って隣席の同僚としゃべっているだけ)、という、設定的な弱点もあるが、馬鹿笑いしながらいい時を過ごすにはぴったりの良作品だ。

対する、「スイートリトルライズ」。江國香織の原作は読んでいないのだが、過去に読んだ江國作品の世界を思い出すような「現実感のないふわふわした男女」の世界だった。江國作品に出てくる主人公たちのように、一般的ではない「テディーベア作家」を主人公に設定した本作だが、映画の中では中谷美紀が、かなりの非現実オーラを出して演じている。(ちなみに過去文庫本がくたくたになるまで読んだ、江國作品の中、「ホリー・ガーデン」の主人公はメガネ屋店員だし、「きらきらひかる」の主人公はイタリア語翻訳だ。こういう人たちが主役の作品は珍しいと思う。)

中谷演じる瑠璃子がテディベアを作るシーンは、映画の穏やかな空気をナイフでえぐるように、残酷だ。太い針でグイっと熊の目を縫い付けるシーンなど、熊を虐待しているようにも見えるほど、静かに恐ろしい。やわらかい髪型で、朝起きて毎日マンションの窓ガラスを息を「ふうう~」とかけてはきゅっきゅっと磨く貞淑な妻でありながら、実は恐ろしい炎を秘めているかのような暗示的なシーンだ。

対する大森南朋演じる聡も、何一つ妻に本音では接していないように見える、クールな夫だ。決して悪い夫ではない。しかし、家に帰ってくるなり自分の部屋にこもって鍵をかけてゲームをし、妻とは同じ家に住んでいながら携帯電話で会話するような男だ。この二人はお互いの干渉をなるべく少なくしているかのように見える。

しかし、それだからと言って二人の間に愛がないわけではなく、互いに他の相手と不倫関係を結びながら、苦しんでいる。苦しみながらも、事実を正直に告白してお互いを苦しめることよりも、嘘をつくこと(まるで不倫をしていることなどなかったかのように互いのもとに戻ること)で、砂糖菓子のような現実感のない関係を保つ。今後も保ち続けるのであろう。

たぶん、「遠距離恋愛 彼女の決断」のエリンとギャレットなら、お互いに新しい相手が出現したときに、何事もなかったかのように二人で住むアパートに戻って、静かにフルーツを一緒に食べたりしないだろう。あっという間にぎくしゃくして別れて、新しい相手に走ったはいいものの、やはり「あ、私にとって一番大事なのはギャレットだわ!」「俺にはやはりエリンだ!」と確認し、互いに戻る、などと、どたばたがあるはず。そして、そのような「どたばた」をなるべく起こさないように、心の中の葛藤を秘めながら、ポーカーフェースで毎日同じベッドでこれからも寝るであろう瑠璃子と聡に違いない。

どちらの愛が本当か、どちらの愛が真実か、なんて、当人同士の問題だし、死ぬ日が来るまで、分からないのであろう。愛はいろいろな形がある。前者の作品は安ワインを明るく飲みながらワイワイと見たい。後者はコアントローをロックでちびちびと飲みながら見たい。

圭子

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