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2011年6月10日 (金)

「ブレードランナー ディレクターズ・カット」-JF・セバスチャンをもっと大事にしてくれ!-

「ブレードランナー」は1982年作品だが、今回は数あるバージョンの中の「ディレクターズ・カット」(1992年)を取り上げたい。今まで見た「ブレードランナー」の中でもこのバージョンが一番好きだ。

「ディレクターズ・カット」は、ハリソン・フォード扮するデッカードのナレーションが「ない」バージョンだ。そして、エンディングが「いきなりドン!」っと終わってしまう、私好みのあっさりさ。いきなりドン!そして暗転、というパターンが一番好きだ。後は勝手に視聴者で考えてくれ、という監督の投げかけを見た者なりに受け止めて、考えて、また巻き戻して(ビデオではないが・・・)見直す。それが、映画の醍醐味だと私は思う。

そして、なぜこの映画は何度も見たくなるのか・・・ それは、未来の警察が、逃げ出したレプリカントを追いかけて、捕まえる、という単純な冷たい話ではなく、2019年というかなり先(というのは最初に作られた時の話。今や2019年なんて、ぼんやりしていたらすぐに来る!)の世界を描きつつ、登場人物たちの生き方、考え方、不器用さが古臭く、懐かしさすら感じるからだ。

そして、美術、音楽の美しさもたまらない。夜空を照らす石油の炎、考えられないほど高い高層ビル、JF・セバスチャン(後記参照)の住むマンションのビル、琴の音のような「シャラララーン」という旋律が心地よい音楽。あまりの出来の良さに、震えるほどだ。

ハリソン・フォードは引退した元「ブレードランナー」(反乱したレプリカント=人造人間を探し出して殺す仕事)で、元上司に「もう一度ブレードランナーとして働いてくれないか」と呼び出され、いやいやブレードランナーに戻るデッカードを演じているが、殺さないといけないレプリカントのことを好きになってしまったりする、人間臭い役を演じている。疲れ切った体を引きずってマンションまで戻り、ウイスキーを薄暗い部屋のソファーで飲むのは、今も昔も、典型的な戦うサラリーマンの姿だ。未来なのに、部屋にピアノが置いてあったり、そのピアノの上にたくさん写真を置いていたり・・・酒、音楽、思い出でストレスのある仕事をなんとか乗り切る姿を見ると、いつの世も、必死で生きる人の姿は普遍的なのだな、と考えさせられる。

レプリカントの美女レイチェル(怖いほど綺麗なショーン・ヤング)も、ずっと自分がレプリカントだと知らずにいたのが、いきなり自分が人間ではないことを知った時の涙顔も、「人間」臭い。

デッカードとの血まみれの戦いの後の神々しいまでのロイ(最高に渋いルトガー・ハウアー)は、人間よりも人間臭い、古典的な男の中の男だ。

未来を描きながらも、悲しいまでの「生への執着」、「人を好きになることの素晴しさ」を描いているから、この映画は時代を経ても色あせないし、何度見ても「も一回見よ!」と巻き戻してしまう(ビデオではないが・・・)のだ。

この映画を最初に見たのは学生の頃だったが、今や、出演者(ハリソン・フォードやルトガー・ハウアー)の当時の年齢を越えてしまった。そして、舞台となる2019年11月には、「51歳」になっている自分。もうじき、である。

レプリカント製造会社「タイレル社」社員で、たくさんのおもちゃの友達と一緒に暮らす「JF・セバスチャン」だが、ホルモンの異常で普通の人よりも老化のスピードが速いという役柄だ。逃走してきたレプリカントのプリス嬢(ダリル・ハンナ、輝いてるね)とロイに協力し、ロイがタイレル社の社長(彼らレプリカントはタイレル社製だ)に会って「寿命、もう少し長くしてもらえないだろうか」との交渉ができるようアレンジまでしてくれる。そんな危険な協力までしてくれた「友人」のセバスチャンをもう少し大事に扱ってくれ!ロイ!と、いつも見るたびにそのシーンをせつなく思う。まあ、ロイの怒りや失望がそれほどに強かったわけであろうが・・・

「わたしを離さないで」の臓器提供用に作られたクローンたちは、「臓器提供時期の猶予」を望み、それがかなわなかったときに、(トミーの暗闇での「おたけび」はあったが)人生をよりよく全うしようと静かに諦めた。諦念の美しい音楽がそこには流れた。本作「ブレードランナー」の中のレプリカントたちは、人間を殺してでも生きながらえたい、と希望しつつ、それがかなわないと知った時、最後まで諦めきれず、走り逃げるものあり、戦いを挑むものあり、最後に人間以上の崇高な姿を見せるものもあり。タイプは違うが、どちらの作品も、人間が勝手に自分の都合で作った人工的な生物にも、「生を愛する気持ち」が存在することを描いている。

ディレクターズカットに挿入された、デッカードの「ユニコーン」の夢、そしてそれと関連するように、エンディングでの玄関に置かれたユニコーンの折り紙を見た時の彼の表情。さて、デッカードは人間か?レプリカントか?何度も考えさせられるテーマだ。さあ、また「巻き戻して」見てみよう・・・

圭子

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