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2011年9月11日 (日)

「エレファント」V.S.「幸福の黄色いハンカチ」-黄色対決-

黄色がテーマ色の映画を二本見た。ひとつはガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」、もうひとつは山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」。

「エレファント」は、1999年におきたコロンバイン高校の銃乱射事件を題材にしている。この重いテーマから、見るのを何年もためらっていたが、重い気分のある日、思い切って見た。

映画の中で二人の若者が高校の建物の中に入り込み、ゲームさながら撃ちまくるのはラスト間際であり、そこまでは淡々と登場人物たちを描いていく。すべての登場人物には名前があり、ある1日の動きをそれぞれの登場人物にフォーカスして描く。なので、同じ時間帯が様々な角度で何度も描かれる。

黄色のTシャツを着た「ジョン」がメインのとき、彼が廊下でカメラ大好き少年「イーライ」と立ち話するシーンがある。その際、横をめがねの女の子「ミシェル」が一目散に駆け抜ける。だが、のちに彼女がメインに描かれているときは、その瞬間を彼女の目線で描く。(急いで廊下を駆け抜けていた事情は、図書館でのバイトに向かっているからだと、彼女のエピソードのときに判明する。)

自分が主役の人生のとき、「脇役」には名前すらないし、彼・彼女がどういう生き方をしているか分からないし興味もない。今朝同じ電車に乗り合わせた人の顔を全く思い出さないのは、その人の名前を知らないからだ。映画の中でも、黄色Tシャツの子のジョンのエピソードの際、廊下をすごい勢いで女の子が駆け抜けるときは彼女になんの感情も持たないが、彼女の回に名前が「ミシェル」であることを知り、実は彼女が体育の時間にほかの女の子とは違うユニフォーム(露出が少ない)を着ていることなどから「自分の体に自信を持てない子」なんだろう、など、興味・関心を抱くようになる。

犯人である凶悪な2人の子に関しても最後は名前を紹介される。そこで私たちは彼らのうちの一人(アレックス)は上手に繊細に「エリーゼのために」を弾き、ふたり(アレックスとエリック)はいまだキスも経験したことがないので、男同士ながらも決行の日に2人で唇をむさぼり合う事実も見てしまう。

人には皆それぞれ名前があり、皆それぞれ事情がある。視聴者はスクリーン越しにすべての登場人物の名前や家庭環境などを把握するが、映画内の子供たちは周りの人間に対する興味・関心はない。なのでラストは惨劇となってしまう。名前を知らない他人にも、人生はあるのだ。(電車の中でぶつかってきても何も謝りもしないにくったらしい奴にも、家庭があり、家では愛すべきパパなのかもしれない。)こんな簡単なことさえ分からなくなった現代人は、ときに「誰でも良かった」と大量殺人を犯してしまったりする。名前さえ知っていれば、殺せないはず、という監督からのメッセージが隠れていると、私は思う。

健さんの「幸福の黄色いハンカチ」は、「エレファント」が描いた「無関心の悲劇」とは逆の「人と人との関わり合いの幸福」を描いている。刑務所から出所したばかりの島勇作(瑛太ばりにイケてる高倉健)には、服役中に別れた妻が夕張にいるが、戻って会うか、それとも会わぬままの人生を選ぶか、迷っている。偶然出会う武田鉄矢扮する欽也と、彼がナンパした若い女朱美(桃井かおり)との、かっこよすぎる健さんのロードムービーだ。他人である健さんに、「奥さんの気持ちを確かめたいなら、この車で一緒に行きましょうよ!」などという若き武田鉄也とSK-II桃井。このシチュエーション、70年代の映画だからありうるのであって、人と人との関係が希薄になった今では、有り得ないシチュエーションだ。

ところで健さんが出所後、6年ぶりであろうビール、ラーメン、カツ丼をすごい気迫で食べるシーンがあるが、その撮影の前2日間何も食べずに挑んだらしい。あまりにラーメンをおいしそうに食べるから、なんかスゴい!と思っていたら、本当にお腹がすいていたのだな、健さん~

圭子

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