« ポルチーニ入りナポリタンで朝ごはん | トップページ | ゆずの北川悠仁の料理をマネしてみましたディナー »

2011年10月 2日 (日)

「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」-二人の母に愛されて-

ビートルズになる前のジョン・レノンの物語だ。アーロン・ジョンソン(本作の監督サム・テイラー・ウッド監督と婚約中。ちなみに彼は23歳年下だ!がちょーん!)が、若いころのジョンをほうふつとさせる。

リバプールのクオリー・バンク校に通うジョン。不良少年である。そんな彼に校長が忠告する言葉「こんなことばっかりしてたら将来どうにもならんぞ。お前がいきつく先はnowhere(=どこにも行けんぞ)だ。」から来ているのであろう、このタイトル。とてもしゃれたタイトルだ。(そののち「nowhere」どころか、ジョン・レノンの魂は世界中の人の心にたどりつき、亡くなった今でも私たちの心に生きているので、校長の予言は大外れだったことを、私たちは知っている・・・)

この映画では「ビートルズ」の名前は一切出てこない。ビートルズになる前の、複雑な家庭環境の中で悩みながらも、ロックンロールの素晴らしさに出会い、仲間とバンドを組み、ギターを弾き、歌を歌うことの快感に目覚めた若者ジョン・レノンの成長の姿を中心に描いている。

ジョン・レノンの生い立ちは複雑だ。ジュリアという母親の元に生まれたが、奔放な人生を送っていた彼女ではなく、彼女の姉のミミに育てられた。そして、映画の中では、クオリー・バンク校に通う頃、実の母親(実はミミおばさん夫妻とともに住む家の近所に住んでいた)と再会する。

奔放な実の母と、厳格な育ての母。二人の性格は正反対だが、どちらもジョンを(違う方法で)溺愛している。ロックンロールへの興味はジュリアからの影響が大である。しかし、手塩にかけて自分の子のように育て、ジョンの目が悪いことをいつも心配して「メガネかけなさい!」と彼が出かけるたびに一声かけるミミおばさんからも、ジョンは深い愛を感じていたはずだ。

二人の正反対な「母」を演じる女優陣が、よい。実の母ジュリアは、アンヌ=マリー・ダフが演じている。「マグダレンの祈り」や「終着駅 トルストイ最後の旅」で、抑えた演技をしていた結構地味目のイメージの女優だが、本作では歌って踊ってバンジョーも弾く、派手な人生の女性を演じている。対するミミおばさん役はクリスティン・スコット・トーマス。上流階級の、つんとした女性を演じるとかなりはまる女優だが、今回、上流階級でもなく、普通の家の人を演じているが、それでも、クリスティン・スコット・トーマスだと、小さな簡素なテーブルでスープを飲んでいるシーンでも、気品があふれてしまう点に、さすがだな、と思ってしまう。何をやっても上流な雰囲気をぷんぷん匂わせる人だ。

ジョンは、実の母親と再会ができて間もないときに、彼女を交通事故で失う。母親を失ったという共通の苦しみをシェアすることにより、最初の頃はあまりしっくりいっていなかったジョンとポールもお互いを分かり合うようになる。(若きポールを演じるトーマス・サングスターは「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ」でいたずらっ子兄弟の長男だった子だ。声が大人の男のそれになっていて、衝撃。この間まで「子役」だったのに!)

リバプールに行くと、ビートルズのゆかりの場所を巡るバスツアーに参加することができる。20歳のとき、初めて海外旅行に行ったときに、イギリスに行ったのだが、どうしてもビートルズツアーに行ってみたくてロンドンからコーチに乗ってはるばるリバプールに行った。バスツアーではこの映画にも出てくる「ストロベリー・フィールド」にも行った。ジョンとポールが出会った教会にも行き、ペニー・レインにも行った。リバプールには、ビートルズの面影がいたるところにある。エレナ・リグビーの像と一緒に撮った写真は探しても探してももう見つからない。さびしい雰囲気の港町リバプール。いつかまたジョンの面影を探しに行ってみたい。

圭子

|

« ポルチーニ入りナポリタンで朝ごはん | トップページ | ゆずの北川悠仁の料理をマネしてみましたディナー »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」-二人の母に愛されて-:

« ポルチーニ入りナポリタンで朝ごはん | トップページ | ゆずの北川悠仁の料理をマネしてみましたディナー »