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2012年2月 1日 (水)

「震える舌」-世の中から孤立することの恐怖-

究極の恐怖とは、なんだろう。天災も恐ろしい。ただ、天災は同じ環境に存在する複数の仲間たちと恐怖を共感することができる。きっと「戦争」という環境も、国レベルで恐怖を共感することができるであろう。もしも不運に遭遇したのが「自分」や「自分の家族」だけだったら、どうなるだろう?それは恐怖の中でも最高レベルの恐怖ではないだろうか。

渡瀬恒彦、十朱幸代演じる夫婦には小さな女の子がいる。家族は巨大な団地に住んでいる。渡瀬・十朱夫婦は在宅勤務。自宅の同じ部屋で仕事(渡瀬はいい体に不釣り合いな「校正」の仕事、十朱はイラスト関係の仕事)を一緒にしながら、ときに息抜きにキスしたり、と冒頭は平和な環境を描く。

そんな平和な世界が、突然壊される。一人娘昌子(通称「まーちゃん」)が泥遊び中に指を怪我しまう。その後、両親は、不思議な状態の昌子(口を開かない、歩き方が変、など)に気づく。そこから先は見るも恐ろしい「心理的ホラー」のオンパレードだ。

病名がなかなか判明しない恐怖。「なんでうちの子がこんな目に?」という恐怖。病院で頻繁に痙攣をおこす娘に対する哀れみと、「私たちも病気がうつってしまったかも。」という恐怖。病院で(自分の子は生死をさまよっているのに)元気そうにしている小児科病棟の子どもたちを見ることの恐怖。担当医の妙に冷静な態度に対する恐怖。本作には、物陰から急にお化けがでてくるような単純な恐怖は描かれていない。もっと別の種類の、「なんでわたし(たち)だけこんな目にあうの?」という精神的苦痛(そして肉体的苦痛)からくるより深い恐怖を描いている。 急に不運に襲われたとき、社会から孤立したような精神になる。この感情は、恐怖だ。

痙攣状態の際の緊迫した状態を、「これはもしかしたら演技ではなく、本当に破傷風に感染しているのではないか??」と、見る者を心配させる、若命真裕子という子役(当時)の演技。これは、はっきり言って、世界に通用するものだ。低いうなり声。えびぞりの背中。鼻からチューブを入れられるときの不快な表情。発作の度に舌から血を流して苦しむときの形相。今を生きる子役俳優たちは、「バイブル」としてこの映画を見るべし、と強く思う。演技を超えた演技、まるで、奇跡、である。

80年代の映画を見ていていつも感じること。それは、女性が上品な話し方をすることだ。今見ると、「ぶりっこ」と思えるほど、しおらしい。とても好感がもてる。映画の中の台詞だから、穏やかに丁寧に話すのか、80年代の現実社会そのものの中で、本作の登場人物のように、女性は女らしく話していたのか。80年代があまりに遠くになってしまい、分からない。本作でも、娘の破傷風が伝染したかも、と怯える母親をボサボサの髪、着た切り雀の姿で演じる十朱からも、愛らしい80年代の穏やかな雰囲気が感じられる。2012年に、この映画の女性キャラたち(患者の母親役十朱、十朱の夫の上司の嫁役日色ともゑ、患者の担当医役中野良子)のように、上品に日本語をあやつる日本人女性は、まず見かけない。もしかしたら人間は時代とともにレベルが後退するのかもしれない。残念なことだ。

圭子

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