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2012年5月 1日 (火)

「ハロルドとモード/少年は虹を渡る」-L.I.V.E. Live!-

1971年の作品だが、今見ても全く古く感じない映画だ。アメリカではカルト映画だとのこと。

自殺未遂ばかり繰り返す青年ハロルド。お屋敷に住んでいる。母親は若き日のジャクリーン・ケネディーのような上流な雰囲気だ。この母親、ハロルドの「自殺場面」を見ても、驚きもしない。ただ、淡々と「ディナーは8時よ。」とだけ告げ部屋を去る母親。息子に無関心なのか、それとも、ハロルドが何度も何度も自殺未遂を繰り返すので、いちいちかまっていられないのか。

そんなハロルドの趣味は「他人の葬式に参列すること」。人の死や自分の自殺未遂にしか興味がない、青白い顔をした彼が出会うのは、80歳の誕生日を目前に控えた老人モードだ。

モードはちょっと変わったおばあさん。なぜか彼女も他人の葬式に参列したり、他人の車を「失敬」しては、猛スピードでぶっ飛ばしたり、廃棄された「電車」に住んでいたり、とかなり普通じゃないおばあさん。

そんな世の中の「メインストリート」からはずれたところで生きている二人が出会い、心から信頼し合うようになる。夢のような話(いくら「年の差婚」が大流行の日本でも、このような20歳くらいの男の子と80歳近い女性の恋愛ストーリーは想像しづらい)なのだが、本作を見ていると、モードがどんどん美しく輝いて見えるので、ハロルドが彼女にどんどん惹かれていくさまを自然にフォローできるのだ。

ハロルドがどうして「自殺癖」をつけるようになったかを物語の中で知り、「こういう子は、モードみたいに全身全霊で愛してくれる人が必要なんだ」と強く思った。そして、そういう人に出会えたら、もう勝負には勝ったも同然。そこまで行けば、何があっても生きていけるのだ、ということも強く思った。私もハロルドくらいの頃、一度自殺を試みたことがある。本当に死んで構わない、と思ったのか、親の関心をひこうとしただけなのか、両方なのか、いろいろと複数の理由があったと記憶するが、その時に、両親ともに意外な反応をしたので、二度と親の前でそのようなことをするのをやめた。その時、私は親を諦めたのだ。(当時は父親が「固い仕事」をしていたので、「家族に自殺者が出たらお父さんは困るんだから、馬鹿なことはやめてくれ。」とだけ言われた訳である。父も母も、私がなぜ血を流しているのかには興味がなさそうだったのが、意外だった。)ハロルドは、父親はもう亡くなっている。今は支配的な態度の母親と二人暮らしだ。思いっきり呼吸をして、思いっきり生きるには、誰かを全身全霊で愛し、誰かに愛されさえすればいい。この映画はひとりの青年の「死」から「生」への劇的な方向転換を描く。

モードがどうしてここまで「自由」にこだわり、「束縛」を嫌う人生を送るようになったかは、かすかに見える彼女の腕の刺青などから私たちは想像できる。多くを語らないが、愛情を込めてハロルドを死の世界から救ったモードは、自分も地獄を経験したから彼の苦しみを理解し、彼を救うことができたのだと私は思う。

モードとハロルドが猛スピードで車を走らせ、バイクの警官と追いかけっこになるシーンや、随所随所でCat Stevensのいい感じの曲が暖かく流れる構成などで、「この映画は『Withnail & I』をちょっと思い出させるな」と感じた。「ウィズネイル」もそうだが、本作のような物悲しい映画は、もう現代では作られないのだろうか。このように、ちょっぴり暗い気分になり、それでも、「いい映画を見たな~ 悲しいけど、もう一回みたいな」と心から思える映画は、もう作られないのだろうか。

圭子

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