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2012年5月14日 (月)

「愛しのローズマリー」-偏見にとらわれないよう、自らを催眠術で守りたい-

ジャック・ブラック演じる「軽薄なハル」は、外見重視の男。とにかく、きれいな女じゃないと、だめ。中身なんてどうでもよい。そんな軽い彼が、ひょんなことで自己啓発指導者のTony Robbins (ロビンス本人が「本人役」を演じている)と出会い、心の目で物事を見ることができるよう催眠術をかけられるのだ。

「心の目」で世界を見ると、何もかもが別物になる。ハルの目にはモデル並みの、スタイルのよい美女に見える女性は、実際は、やや野暮ったい女性だったり、セクシーなイケてるダンスフロアの女性は、実際はイケていないおばさんだったり。

しかし、そもそも「イケている」「イケていない」のスタンダードは、私たちの心の内部から湧き出るものではなく、他所から私たちの心に植え付けられた外的要素なのではないだろうか?本作を見て一番思ったのはこのことだ。「痩せてきれいな人が優性」「太っている人は劣性」「五体満足な人は優性」「障害がある人は気の毒」「金儲けに成功した人は勝者」「無償でボランティアに専念している人はダサい」・・・注意していないと、このような偏見がいつの間にか自分の中の標準になってしまいがちだ。そして、少しでも「一般的概念の中の『イケている人』に私もなりたい!」と、妙に焦ってしまったり、本来の自分の良さを見失ってしまいがちだ。危ない、危ない。「一般的」なんて、ないのだ。

ローズマリーは体の大きな女性。レストランの椅子も壊してしまうほどの巨体だ。そんな彼女に出会ったハルは、ロビンスの催眠術にかかっている間、彼女が「スリムで清楚な女の子」だと見える。そして、彼女を常に、賞賛する。しかし、ローズマリーはそのような扱いに全く慣れていないので、戸惑うばかり。そのあたりを、グウィネス・パルトローがものすごくうまく演じる。ハルの目に映る「痩せた」ローズマリーを演じる際も、体が大きい人の歩き方、話し方をうまく演じるのだ。役者魂、である。

ファレリー兄弟にまた気づかされてしまった。私たちは様々なメディアに締め付けられている。考え方までもコントロールされている。外側だけ気にして、中身を軽視するように育てられている。私もTony Robbins に催眠術をかけてもらいたいと思った。外的要素からがんじがらめになってしまい、ときに、自分の「目」でものを見ることができなくなっている私を解放してほしい。いや、Tony Robbins に頼むのではなく、本当は自力で自分を解放しなければならないのだ。外的情報に惑わされず、自分がきれいと思ったものをきれいだと思い、自分が重要だと思ったものを重要だと思いたい。ものすごく大事なことを、コメディで描くファレリー兄弟に乾杯。またもや大笑いしながらも、しみじみ「人」という生き物について深く考えさせられてしまった。

圭子

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