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2012年9月 8日 (土)

「ドリーマーズ」-放蕩の日々、ごみ溜めのようなアパルトマンに乾いた風が吹く-

ヨーロッパは乾いている。これは私の個人的かつ限られた経験の中で得た印象だ。乾いているから、いろいろなことが「なんとかなる」ものだ。

本作は1968年のパリを舞台にしている。アメリカ人大学生のマシュー(マイケル・ピット)は、学生であるためベトナム戦争に行かずに済んでいる。パリのシネマテークで映画三昧の日々だ。シネマテークでイザベル(エヴァ・グリーン)とテオ(ルイ・ガレル)の双子(!)の兄妹と出会う。この三人は、ともに暮らすようになり、次第に、外にはほとんど出ず、アパルトマンの中にこもり、放蕩の日々を過ごすようになる。

そして、彼らがいつも裸に近い状態で生活する中、窓の外では五月革命の嵐が吹き荒れる。

冒頭で「なんとかなる」と書いたが、映画の中で、放蕩にふける三人が暮らすアパルトマンは、イザベルとテオの両親がいたころには整然となっていたのに、どんどん、ごみ屋敷のような状態になっていく。それでも、パリの乾いた空気のおかげか、不快な状態には見えないのだ。キッチンのシンクは(放蕩に忙しい三人の誰も洗い物をしないからか)食器や鍋などでぐちゃぐちゃだ。親が残していった小切手も使い切り、食べ物も買えず、ゴミ捨て場からまだ食べられそうな食べ物を拾ってきて、「これがランチだ!」と二人を驚かせるテオ。腐っているかもしれない肉を「こんなもの食べられない!」と手づかみで部屋の隅に投げるイザベル。結果として、この家には、生肉は床に転がり、汚れた食器はそこらじゅうにあり、親の保管している高級ワインの栓は抜きまくりなので、空になったワインのボトルはそこらじゅうに転がっているはずだ。服も脱ぎ捨てたまま。浴槽で生理が始まったイザベラは、血液と風呂の湯が混じっていても、そのまま気にせずお湯の中でニヤニヤしている。

なのに、「なんとかなって」いるのだ。湿度の低い環境では、カオスのような環境すら、美しくさえ見える。乾いたパリのアパルトマンでは、カオスすら計算されつくしたインテリアのように、美しくすら見える。(三人がしていたような生活を日本の梅雨の時期にでもしていたら、部屋は恐ろしいことになるだろうし、下手すると病気になるであろう・・・)

兄妹だが、夜は裸で同じベッドで眠るテオとイザベラ。マシューとイザベラがキッチンでセックスをする、その同じキッチンで、くわえたばこで目玉焼きを無言で焼くテオ。子供たちが放蕩にふけっていた痕跡を見つけても、何も言わずに部屋を立ち去る両親。アメリカにいる母親に手紙を書きながら、口から唾液を吐きだすマシュー。放蕩の日々、久々に学生運動の集会に行き、昔付き合っていた(であろう)彼女と久しぶりに会った時に、明らかに「社交辞令」的な冷たい微笑みを浮かべるテオ。放蕩の限りをつくしながらも、自分の部屋は、乙女の部屋のような装飾にし、ベッドには二組のテディベアをのせるイザベラ。

どこを切っても、「何を意味しているのだ?」と見る者に考えさせる要素で埋め尽くされている。

若者たちの「何も考えず、ただ、欲望のままに放蕩を続ける」という夢は、革命デモの窓への投石によって終わる。ここから始まる未来はもう、三人一緒に見るものではなくなってしまうのだ。Each dreamer's dream was finally terminated. 

オープニング同様、エンディングにもジミ・ヘンドリクスの「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」が流れる。あたかも、今まで見ていた三人の罪深い若者たちの密室劇が「夢」だったかのようだ。私が今まで見てきた、「恐るべき子供たち」の二時間弱の物語は、もしかしたら私が見た束の間の夢だったのかもしれない・・・

圭子

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