« 暖かい味噌汁って・・・ディナー | トップページ | ガーリックマグロディナー&和食で朝ごはん »

2012年11月 8日 (木)

「昼下がり、ローマの恋」-イタリアに学ぶ人生の楽しみ方-

"Robert De Niro's waiting. Talking Italian... " (バナナラマ!)

本作では、イタリア語を流暢に話すデニーロを見ることができる。すごいなああ。役者魂。

と言っても、DVD のジャケットから受ける「デニーロとモニカ・ベルッチの熟年恋愛もの」のイメージは実際に映画を見た後には変わる。3部のオムニバスの最終話でのみこの二人の恋愛物語を見ることができるが、そのほかに2つの話が描かれる。デニーロ/ベルッチのお話は全体のほんの一部だ。

1話目はイタリア人青年男性の話、2話目はイタリア人中年(会社の定年前)男性の話、そして、3話目はアメリカ人歴史学者の熟年男性の話、という構成だ。3つの話に出てくる登場人物が、最終的には(若干だが)リンクする、うまい作り。共通事項は「ローマのアパート」だ。同じアパートの別の部屋に住む人々が意外な形でかかわる。

まあ、「イタリア」が舞台で、「男と女」がテーマ、となると、想像は簡単だ。日本に住む私たちとはかけ離れた感覚で愛を堪能する人々の狂乱。どうして私たちもこう単純に生きることができないのかな?と感じる。人生は短い、だから、愛し合おう。生き急いでいるようにさえ見える、イタリア人。(デニーロはアメリカ人、だが。)

例えば1話目の若い弁護士ロベルト。美しい彼女がいる。結婚目前であり、恋人とはなんの問題もない。しかし、仕事でトスカーナに出張し、出先で出会う女と恋に落ち、屋外でセックスしたり・・・「ローマに帰るのやめようかな・・・」という気分に一瞬なったりもする。この、恋に落ちるところがものすごく瞬間的で、屋外にテーブルと椅子を並べている典型的なイタリアの飲み屋(映画の中では、ロベルトの泊まっているホテルの食堂)で、近くの席にたまたま座っている二人が、ほんの少しだけ目が合い、この「ほんの少し」の間に「愛」が始まる。

日本でも、「あ、いい男がいる!」とか「この女いいな。」と思う瞬間はカフェ、図書館、電車の中、路上、などなどでいつでも発生しうるだろう。しかし、後先を考えず話しかけたり、急に見ず知らずの人と知り合いになったり、ということが起こりづらい。安全に、無難に生きることの方が大事だと多くの人が思っているからだろうか・・・ 生き急ぐイタリア人のそれに比べ、私たちの人生は問題のないものであろうが、「彩」の薄いものなのかもしれない。

滑稽にすら見える、3話の男たちの恋愛ざたを笑いながらも「ああ、イタリアという舞台に住む人々は本当にうらやましいな。」と心の中で嫉妬してしまう。

昔イタリアにいた時に、イタリア人の男の子とアルノ川沿いを歩きながら話した内容を今も覚えている。イタリア人の友人の家に泊まってたのだが、昼間の時間を友人の婚約者である彼が付き合ってくれていたときだ。「僕たちイタリア人にとって、『生きること』ってものすごく大切なんだ。楽しく生きることほど重要なことはないから。」と。20代のいまどきの男の子が、そんな「くさい」ことを真顔で言うのだ。生きることを大事にする。そして、人を愛すことで自分の人生をよりよくする。イタリアにいたとき「はっと」して、「そうだ、本当にそうだ。生きることを大事に考えよう。」と思ったのに、生活に疲れると、あのときの、アルノ川の「気づき」をすぐに忘れてしまう。いかん、いかん。(ああ、1年に一度くらいの頻度でイタリアに行きたい・・・心がカラカラだ。)

だから、たまには本作のような「生きることを楽しむ」というシンプルなことに気づかされるような映画を見ないといけない、のだ。

ところで、デニーロと愛を育む役の「イタリアの宝石」モニカ・ベルッチの体型がかなりボリュームアップしていて、松坂慶子様的になってきている・・・ちょっと心配!

圭子

|

« 暖かい味噌汁って・・・ディナー | トップページ | ガーリックマグロディナー&和食で朝ごはん »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「昼下がり、ローマの恋」-イタリアに学ぶ人生の楽しみ方-:

« 暖かい味噌汁って・・・ディナー | トップページ | ガーリックマグロディナー&和食で朝ごはん »