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2013年1月31日 (木)

「最低で最高のサリー」-人生をなんとかうまくやっていく能力-

原題は「The Art of Getting by」。なんとかやっていく技、とでも言うべきか。人生のむなしさを感じても、いろいろなことが無意味に感じても、そこですべてを放棄するわけにはいかない。人はどうにかこうにかして生き続ける方法を持っていなければいけない。この映画は、その方法がわからず、人生を積極的に生きることを放棄しかけた高校三年生の男の子が、一人の女の子との出会いによって、その方法(生きるための「やる気」)を見出す物語だ。

どうせいつかは死ぬんだし、何かを一生懸命するなんて、むなしい・・・ そういう考え方に付きまとわれられ、ジョージ(フレディ・ハイモア!背高くなっている!!成長したなああ、「チャーリーとチョコレート工場」の子だよね??)は学校の課題もこなさない。もうじき卒業だが、卒業できるかどうかもあやうい状態だ。ジョージは悪党でもない。孤独な、人生にむなしさを感じている頭のいい男の子だ。

ひょんなことからサリー(エマ・ロバーツ。エリック・ロバーツの娘!)と友だちになり、少しずつ積極的に世界と向き合うようになる。ああ、青春って輝いている・・・

それにしても、アメリカの映画を見ていると、「親は何度も離婚」とか「母親は知らない男を連れ込んでばかり」とか「子供は小さいうちから大人みたいな顔をして生きている」というシーンばかり見る。いわゆる「梅ちゃん先生」のような家族なんてないのかもしれないし、この映画で描かれるような、子供が小さいころから「個人主義」にならざるを得ない状況の方が「普通」なのだろうな、という気になる。(その点、朝ドラの「純と愛」はアメリカ映画みたいだ。ウェス・アンダーソンの映画みたいな。家族のメンバーの関係がなんとなく変だったり、典型的じゃない人、たとえば「家族思いでしっかりもので、なおかつ優しい父」、という幻想からは程遠い武田鉄也のキャラクターなど、がうじゃうじゃ出てきたり。「純と愛」、ディスファンクショナル・ファミリーのグローバル化の先取りか!?)

主人公が校長先生と話すシーンを見ていても、決して日本で「高校生と校長先生が話す」というシチュエーションでは見ることができないような「大人対大人」の空気が漂う。まあ、そもそも日本で高校生が単独で校長先生と話し合い、などしないが・・・

生きるモチベーションを見出したのが高校三年生というタイミングだった主人公ジョージにひどく嫉妬する。こういう若い時期に、「やっぱ頑張って生きよう!」「僕、絵を描くのが好き。こういう方向で生きていきたい。」と感じることができるなんて、なんの問題もないじゃないか!?まだ人生の始まりのフェーズなんだから!もしこの主人公が45歳の中年オヤジで、なおかつ映画の最後の方で、「いまだ人生に対するモチベーションなんてわかない。何が得意かも、わからない。」という終わり方だったら、と思うと恐怖すら感じる。(まるで今の自分を見ているような気分になるから!!)ああ、うだうだ言ってないで、ジョージのように、一年分の課題をただ、さくさくとこなすように、何か目の前に、「目に見える形」のタスクを置いて、ひたすらそのタスクが減っていくのを見ながら作業したい。そうしているうちに、何かが見えてくるかもしれないから。自分の心の中に「さぼって提出しなかった課題」がたまっていることを自覚させる映画だ。

ところで、サリーの母親(ちょっとアル中風?)役は「トワイライト」でエズミ・カレンを演じているエリザベス・リーサー!ヴァンパイアから身持ちの悪い母親まで、幅広く演じるなあ。

圭子

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