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2013年6月14日 (金)

「エンド・オブ・ザ・ワールド」-死ぬ前にすっきりしておきたいこと-

スティーブ・カレルと言えば、「コメディー」というジャンルが浮かぶ。何か嫌なことがあって、すっきりしたいときは、この人や、ベン・スティラー、ジェニファー・アニストンあたりがでているコメディーを見るとよい。ビールを飲みながら、がはがは笑って、それで明日はまたなんとかやっていけるだろうという気分になる。

本作のスティーブ・カレルは、そんな「ビールと笑いの友」の人ではない。この人にこういう顔があったのか、と驚きの発見をした。とてもよい。しんみりする。新しいスティーブ・カレルに出会えてよかった。今後もたまにはこういうしんみりする役で出会いたい。

物語は、あと数週間で小惑星が地球にぶつかる、という状況で、妻に逃げられた中年男がたまたま同じアパート内に住む若い女性と仲良くなり、交流を深めていくうちに、何が自分にとって大切かがわかっていくような、静かな話だ。決して派手なSF 大作ではない。なのに、見終わった後、大事なことを考えさせられる。「もうじき死ぬ、ということが事前にわかっていたら、残りの日々をどうすごそうか。」というテーマを。

小惑星が地球にぶつかるまではけっこう時間がある。数週間の時間があれば、結構計画をたてて行動できるものだ。映画の中では、暴動を起こす人もいるし、乱交にふける人々もいる。この際だから、とヘロインパーティーを開く大人たちもいる。主人公の中年男ドッジ(カレル)は、高校のころ付き合っていた愛する人に会いに行こうと決心する。

そんな「最後の旅」に付き合ってくれるのが、ペニー(キーラ・ナイトレイ)。同じアパートに住むイギリス人だ。二人はドッジの昔の彼女に会いに行く旅をする中で、次第にお互いのことを大事に思うようになる。

映画の中で、テレビのニュースのシーンがたびたび出てくる。刻々と迫る地球滅亡への道を報道するニュースキャスター役の俳優、見てびっくりした。「デスパレートな妻たち」でちょっと不気味な雰囲気をかもしだす、ポール・ヤングを演じているMark Moses だ!!そして、ドッジといい仲になることを望むはじけた毛皮女の役には「乙女の祈り」のメラニー・リンスキー。ポーリーン役のときはあんなに太っていたのに、今はきれいなお姉さんである。

この映画の中で、輝いたシーンがある。昔々に蒸発したドッジの父親(まさか、の人が演じている!!)とドッジが再会するシーンだ。親に捨てられた。親に逃げられた。その気分で中年まで生きてきたわけだ。父親から謝ってもらい、その後一緒にハーモニカを仲良く吹いて、多分、そのときドッジは「地球なんてもうなくなってもいい。」と思ったに違いない。父親と和解できないまま長生きするよりも、仲直りしてから早死にする方がよっぽど幸せ。そう思ったはずだ。

このシーンを見た時に、最近母親を亡くしたモトリー・クルーのベーシスト、ニッキー・シックスのことを考えた。ニッキーとお母さんとの関係は、彼の著書を何冊か読むとわかる。父親は彼が3歳のときに蒸発し、母親は男ができるたびにニッキーを彼の祖父母のところに預け、実質育てなかった。彼の本の中にはそのような不具合のある幼少期の記憶や、それが原因であろう大人になってからの心の闇も書かれている。

モトリー・クルー著の「The Dirt」の中で、ニッキーが青年になったときに父親に初めて電話をしたときのことが書いてある。3歳で捨てられたとき以来初めてのコンタクトだ。緊張を殺すためにウイスキーを飲んで挑んだが、電話に出た父親の言葉は冷酷なものだった。その後に、彼は父親の名前だった出生名「Franklin Carlton Feranna」 を法的に「Nikki Sixx」に変えている。そして父親が1987年に死んだことを、かなり後になってから知ったニッキーは、父親の墓石に唾を吐いて、父を葬った。

【出典】Mötley Crüe with Strauss, Neil. 2002. The Dirt - Confessions of the World's Most Notorious Rock Band. New York: HarperCollins Publishers. 

そして、先日母親が亡くなったときに、ニッキーはFacebook でこのような言葉を残している。

"If your wasting time procrastinating on anything trust me when I say "You'll be sorry"."

https://www.facebook.com/nikkisixxofficial

親との問題でも、なんでもいいから、何か先送りにしていることがあるのなら、後で後悔しないように、ちゃんと早く解決しな、と彼に言われたような気がする。私自身、母親との関係が子供のころからおかしくなっていて、ここまで来ると、ドッジのように「あと数週間で地球滅亡」という究極の状態にならない限りは彼女と「きちんと話をする」ということができない状態だからだ。ニッキーの父親・母親との関係や、ドッジの父親との関係を見ていると、なんとか互いが生きているうちに和解できれば、と思ってしまう。そして、それをうまくやることができれば、たとえ明日地球が小惑星にぶつかって自分が消えてしまっても、そんなことどうでもいいと思えるほど幸せになるであろうことも。

ときどきふと、「エターナル・サンシャイン」を思い出させるシーンもある。設定的にも、イギリス女優キーラ・ナイトレイと北米コメディー俳優のスティーブ・カレルの二人組、という点で、類似する。そして、ドッジが高校のころのsweetheart 、オリビアの家にたどり着き、その家が留守宅なのにもかかわらず入り込んで、そこでくつろぐシーンは、「エターナル」でジョエルとクレメンタインが浜辺の家に入り込んだときのシーンにも似ている。地球の終末が迫る中、静かに最期を迎えたい人々が集まったビーチでのシーンで、ドッジとペニーがくつろぐところも雰囲気が似ている。音声がなくなり、ただ映像だけが流れる(その中、見る者は、ビーチでの人々の楽しい会話を想像することになる。)という構成も、「エターナル」で、初めてジョエルとクレメンタインが出会うビーチでのバーベキューのシーンに似ている。大げさな雰囲気はない。ただただ、優しい空気に包まれるシーンだ。なので、「エターナル・サンシャイン」の世界観が好きな人にも、この映画はお勧めしたい。(両方の映画のプロデューサーは同じ人、Steve Golin だ。)

圭子

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