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2013年9月27日 (金)

「ダメージ」-恋に落ちれば皆阿呆になる-

1992年作品。テレビドラマ「ボルジア家 愛と欲望の教皇一族」の予告編で久しぶりにジェレミー・アイアンズを見て、懐かしく思い、約20年ぶりに「ダメージ」を見た。最初にこの映画を見たときは、年齢の近いアナに集中して見ていたが、今や、作品の中のフレミング(ジェレミー・アイアンズ)からの視点でしか見ることができなかった。哀れ、フレミング。あなたはすべてを失った。

運命の人に出会ってしまい、仕事も手につかなくなり、狂った行動をとってしまうなんて、馬鹿らしい、なんて、誰にも言えない。誰にでも起こる破滅をこの作品は描いている。大なり小なり、人は誰かにのめりこんでしまうと、おかしなことをしでかすものだ。フレミングが全裸でアパートの階段を駆け下りる姿を笑える人なんて、いないはず。誰だって、恋に落ちれば阿呆になるに違いない。

普段の生活の中に、アナ(このときのビノシュはそんなに魅力的じゃなかったな・・・ ちょっと中途半端な感じだ。)とフレミングのような「運命の出会い」がないのは、幸運なのかもしれない。おかげで、家庭は安定したままだし、正常な心で生活することもできる。でも、それが「幸運」なのか「不幸」なのかは、わからない。もしかしたら、人生の中で、ほんの短い間だけでも、フレミングが味わったような強烈な興奮(その興奮を得るために、彼は人生のすべてを失うことになる。)の味を味わえる方が、幸せな人生なのかもしれない。

この映画のとき、ジェレミー・アイアンズは44歳だった。今の自分よりもジェレミー・アイアンズの方が若いことを不思議に感じる。この映画の中のアイアンズは、ダンヒルの広告のモデルのようだ。こんなに背広が似合う人を私は他に知らない。声もいい。髪もいい。哀愁もいい。すべてにおいて、哀れなほど、完璧なジェレミー・アイアンズに乾杯。

映画を見終わった後、昔、何にも手につかなくなり、夜も眠れなくて、始発の電車に乗り、その時好きだった男の家の近くまで行き、彼が通勤時に歩く姿を見ることができる位置にあるファミレスに行き、ひそかにコーヒーを飲んだ朝を思い出した。そんなこと一度しかしなかったが、今もその時の感覚を覚えている。じっとファミレスの窓から歩道を見て、今か今かと彼が通りすぎるのを待っていたのだ。もちろん、彼が窓の前を(私に気づかず)通りすぎても、店を出て彼を追いかけたり、声をかけたりしないで。コーヒーを飲み終わったら、おとなしく自分の家に帰った。付き合っていたが、いろいろあって別れてしまったその男のことが忘れられなくて、せめて歩く姿だけでも見たいと思ったのだ。狂っているとしかいいようがないが、他にどうすることもできないので、始発に飛び乗った私だった。

それは、フレミングが、仕事で訪れているブリュッセルの国際会議から、アナに会うためアナが恋人である自分の息子(!)と旅行に来ているパリまで電車で飛んできて、二人が泊まるホテルに自分も部屋を取り、自室の窓から息子とその恋人が仲睦まじくする姿をカーテン越しに見ている恐ろしいシーンにも通じる。人は恋に落ちると、おかしくなってしまうのだ。はたから見れば滑稽なことを、目の下にクマを作りながらしてしまうのだ・・・

恐ろしいことは、映画のラスト、政界での居場所もなくなり、妻とも別れ、世界の果てのような小部屋で窓から入る日差しだけを楽しみに生きているフレミングが、決して不幸そうには見えないことだ。すべてを失い、「魔性の女」に人生を狂わされたのにも関わらず、彼は毎日、その、おんぼろな部屋の中で彼女の写真の前で穏やかに微笑んでいるのだ。

圭子

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投稿: chaussure de foot | 2013年10月13日 (日) 18時32分

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