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2015年6月10日 (水)

「グランド・ブダペスト・ホテル」-異端者たちの反乱-

なぜウェス・アンダーソンの映画がこんなに好きなんだろう?彼の映画のどんな要素に惹かれるんだろう?毎回彼の映画を見終わると、内容に悲しい要素が含まれていようとも、なぜかほっとする。そして、生きるつらさをほんの少し忘れられる。

本作では、悲しい人々がたくさん出てくる。ホテルのロビーボーイの「ゼロ」はその名前の示すように、何もない。家族は戦争で失い、教育も受けていない。ホテルマンとしての経験もゼロに近い。何も持たない彼は、口元に一本の「ひげ」のような線をひき、毎日人生と闘う。彼が恋するお菓子屋「メンデル」の娘アガサ。彼女も、お菓子屋主人がろくに働かない中、顔中小麦粉だらけにして働く。実質メンデルの美しい夢のようなお菓子はアガサ一人が職人として作る。(店の主人は飲んだくれなので、あまり働いていない。)住むのは菓子屋の屋根裏だ。その部屋にはドアすらない。アガサがゼロと束の間の恋の時間をすごしている屋根裏の部屋に、ノックもなく(そりゃそうだ。ドアがないのだから!)入ってくるお菓子屋の主人を見て、ああ、アガサはもしかしたら、この主人に性的虐待を受けてきたのかもしれない、と思った。アガサには「家族」の影がない。身寄りがなく、ここで働くしかない。何をされても、逃げる場所もない。お菓子を作っている時だけが、生きていると感じる瞬間、なのかもしれない。

主役のムッシュ・グスタヴ(ああ、レイフ・ファインズよ!「イングリッシュペイシェント」の頃ってセックス・シンボルだったよな。)も、壮大なる枕営業をしながらも、華やかなコンシェルジュの業務のないときは、一人孤独にホテルの自室で質素な食事をとる。この人にも、過去に何か悲しいヒストリーがあったとしか思えない。年配女性だけを専門にお相手するこの彼の特異な業務・・・ 何か「年上の女性」にしか心を開けなくなるような事情が彼にはあったのかもしれない。

そんな、物悲しい世界を、お菓子のケーキのように美しいホテルを舞台に描き、いろいろな人が死に、悲しい内容であるにも関わらず、見終わった後きれいな気持ちになり、「生きることは美しい」と心から感じるのは、作品の中のそれぞれのキャラクターが、決して諦めないからなのではないだろうか。ゼロは不幸な境遇を大声で嘆いたりしない。淡々とやるべき仕事を行い、生きる。恋をしてガールフレンドに本を贈ったり、グスタヴが冤罪で牢に囚われても「あきらめないで。」と面会に行く。アガサも、厳しい境遇の中でも、彼女にしか作れない、囚人の鬼のような男たちすら骨抜きにする上等なケーキを作る。グスタヴも、信念を決して曲げることなく生きる(そして、そのおかげで射殺される。)。誰も泣きわめいたりしない。(わめいているのは劇中、遺産が思うように自分の元にはいらない馬鹿息子だけだ!)誰も不遇を嘆かない。冷静に自分の中で淡々と戦っている。そんな彼らを見て、「私も静かに戦おう。」という気分になる。

それが冒頭に書いた疑問の答えなのだと思う。なぜウェス・アンダーソンの作品に惹かれるか。それは、決して「一般的」ではないキャラクターたちが、冷静に、淡々と、嘆くことなくそれぞれが置かれた環境で闘っているからだ。彼らの「静かな戦争」の同志となるべく、自分自身も静かに反乱しようと思える。そして、映画を見た後は「自分は一人じゃない。」と安堵できる。だから私は、多分一生、ウェス・アンダーソンの作品を欲してしまうのだろう。

圭子

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