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2020年11月29日 (日)

「ファニーとアレクサンデル」-亡霊からは逃れられないけれど-

ベルイマンの1982年作品。豊かなエクダール家の2年を描く。

この映画を見て、このエクダール家のメンバー(メイドたちを含み)に親近感を持たない人はいないのではないだろうか。他人とは思えないほどの愛を感じる。このような感覚は、イタリア映画の「輝ける青春」を見た時にも味わった。どのメンバーにも、まるで親戚のような感覚を覚えてしまい、映画が終わっても「また来年会いたい。」と思ってしまう。

ファニーとアレクサンデルは、劇場を営み、俳優でもある両親のもと、豊かな環境で生きる兄と妹だ。アレクサンデルの大きな黒い瞳。ファニーの、いつでも冷静な表情。子供ではあるが、過度に「かわいい」「守ってあげたい」と思わせるキャラクターではなく、まるで大人の世界をすべて見透かしているような、恐るべき子供たちだ。

この兄妹の周りの大人の世界を彼らの目を通して描きつつ、「死」「愛」「人生の喜び」「病気」「支配」などを5時間かけて描く。この5時間を越す映画は、まったく飽きる暇もなく、すべてのシーンがまるで絵のように美しく、最後まで見たときに「もうエクダール家のみんなと会えないのか・・・」と寂しく思い、また最初のクリスマスのシーンに戻って見てしまう、という無限ループを誘う。本当に、他人とは思えない、エクダール家。

映画は、小説のように、章仕立てになっていて、章が変わるたびに、「水」のシーンで始まる。寒そうな、そして清らかな川の流れ。人の人生は常に動いていることを示すような水の動き。

アレクサンデルは、亡くなった父親の亡霊に度々会い、映画の最後でも「もう一人の亡霊」と出会う。きっと、亡くなった人が見えてしまう彼にとっては、今後の人生も時々亡霊に悩まされることを示唆している。それでも幸せな終わり方だと感じるのは、おばあちゃんのヘレナの存在なのではないか、と思う。これからもきっと、いいこともあり、嫌なこともある人生だ。これまでだって、そうだったし、これからも、きっと浮き沈みはある。亡霊からも時々脅される人生だろうが、何が起きても淡々と生きるしかない。アレクサンデルは覚悟を持って生きる、時にはおばあちゃんの膝で眠りながら。コロナに散々な目にあった今年に、心をきれいな「水」で洗浄してもらったような気持ちがした。

圭子

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