映画・テレビ

2018年1月31日 (水)

速報!国会中継!

国会中継中。片山さつき先生の服が、BUCK-TICKステージ衣装をなんとなく彷彿させる!Day in Question 2011のあっちゃん、を彷彿させるゴージャス感。さあ、早く皆さまブラウン管を見てみて。

圭子

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2018年1月25日 (木)

「1000日のアン」-アンよ。貴方の予言は全て当たっている!決して流れる血は無駄にはなっていない!-

私はアン・ブーリンが好きだ。ヘンリー8世の6人の妻の中で、一番「人間らしい」キャラクターだからだ。そもそも、この印象は、以前見ていたテレビドラマの「The Tudors」から来る。ナタリー・ドーマー演じるアン・ブーリンは、意地でも「愛人ではなく、正式な妻にしてくれないと、あなたとは寝ません!」と相手がイングランドの王であっても、ひるまなかった。勝ち取った「王妃」の座につき、あとは幸せに暮らしました、という安泰な人生ではなく、王の望む「息子」を生むことがなかなか出来ず、挙句の果てには周囲のでっち上げで反逆罪による処刑だ。なのに、アンは、処刑前にひるむこともない。The Tudorsでのナタリー・ドーマーも、「私は首が細いから大丈夫よね!」といった意味の言葉を発して、このセリフの後こらえきれないように笑っていた。誰が首をはねられる前に、笑えるだろうか!?そして、処刑前の神々しい演説。私がアン・ブーリンのファンになった瞬間だった。

大ファンのアンが主役の「1000日のアン」を見た。1969年公開の映画だ。ヘンリー8世役はリチャード・バートン。女の敵であるヘンリー8世を見事に演じる。アンを演じるのは、現代でもこんな小顔の女優いないのでは?という可憐なジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド。アンがとてもよい。運命に翻弄されながらも、強く、プライドが高く、本当は泣きたいときでも、にやっと不敵な笑みを浮かべ、そして、誰もいないところでやっと涙を流す、最高に見栄っ張りで憎めない女を演じている。

まるでNHKの大河ドラマを見ているような、豪華さだ。映画を見ている、というより、本当に、16世紀のイングランド宮廷をのぞき見しているような、そんな錯覚になる。すべての演者が、「演じている」という雰囲気を出さず、その時代の、その環境に、運命にもてあそばれながら、「生きている」ようにしか見えない。豪奢なハンプトン・コートを取られてしまうウルジーも、ウルジーを演じている俳優、ではなく、本当に「ああ、しんどいわ。」と感じているウルジーにしか見えない。良心に従って処刑されるトマス・モアも、演じている俳優ではなく、断頭台に颯爽と登る本当のモアにしか、見えない。すべてがそういう印象だった。

アンは、結局、男の子を生めなかった。生むことは生んだが、死産だった。どうしても世継ぎを生んでほしいと望んでいたヘンリーは、アンに男の子が生めない、と判断し、もっと若く「世継ぎを生んでくれる可能性のある」ジェーン・シーモアに気が移り、邪魔になったアンを処刑することにする。(とんでもない輩だ。)アンはそれでも、自分の生んだ女の子エリザベス(のちのエリザベス1世)が将来素晴らしい王になることを望み、その夢がかなうなら、自分の流れる血は無駄にならない、と思いながら死んでいく。安心して、アン。歴史を過去にひも解く私たちは知っている。貴方の望みはかないます。貴方の可愛い娘は、とんでもなく偉大な王になります。そのあたりは、全く心配しなくて大丈夫ですよ・・・

圭子

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2017年4月 4日 (火)

「ひよっこ」、泣けてくる・・・

今回の朝ドラ「ひよっこ」は、大丈夫です。今回は、大丈夫。

なんか、見ているだけで涙が出てくる・・・ 普通に、安心して、見ることができます。なまりも、すごくよい。

圭子

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2017年4月 2日 (日)

「べっぴんさん」の不自然なシーンについて⑥

とうとう最終回!

今回の爆弾は、「小豆」!戦後のとき、非常時のためにとっておいた、小豆。そう、あのさくらのお手玉に忍ばせていた小豆。あれを赤飯にして、キアリス30周年の二次会パーティで栄輔にふるまう、さくら。

「腹こわすやろ!!!!?」

シュールすぎて驚きました。ただでさえお腹には気を付けないといけない栄輔が無事であることを、祈る。

色々と驚かされてきた、この「べっぴんさん」。終わってしまった今、なんか「ぺっぴんさんロス」になっている自分に気づきます。ここまで興味深い朝ドラもなかったです、いまだかつて。

さようなら、べっぴんさん!!!

圭子

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2017年3月 8日 (水)

「べっぴんさん」の不自然なシーンについて⑤

サミーちゃん!!

ああ、もうすぐ終わるこのドラマ、最後まで、本当に目が離せない。ある意味、愛しているのかもしれません。「愛」と「憎」は紙一重。文句ばっかり言っているけど毎回見てしまうこのドラマ、私はもしかしたら愛しているのかもしれません・・・ まるで、「嵐が丘」のヒースクリフのキャサリンに対する愛憎のように・・・

さくらの描く「サミーちゃん」は、そもそも君ちゃんがキアリスの最初のころからデザインにしているリスのキャラクターとほぼ同じなのですが、なぜ、新しいキャラクターのような扱いをうけるのでしょうか?さくらのデザインを見た君ちゃんでさえ、うっとりと見つめていた。君ちゃん、あなたが考えたリスと、同じであることに、気づきませんか!!?

そして、健ちゃんの暴走。この人、こういうキャラだったっけ??家に帰ってくるなり、「ただいま」も言わず、いきなり、さくらに話しかける。家でご飯作って待ってるすみれ(姑)に失礼すぎる。そして、すみれの作っている料理はアクアパッツァのような、当時の日本ではあまり一般的ではなかったしゃれた料理。何から何まで、不自然。

まともな人間が一人もおらんじゃないか!!

基本的なことを言いますが、NHKの朝ドラって、見ている人が「今日も頑張ろう!」というエネルギーを得ることができるようなものであってほしい。「べっぴんさん」は見れば見るほど、「このドラマが描かれている世界は、宇宙人に魂を乗っ取られた人たちの、異常な世界なのかも。」としか思えない。とても地球に生きる人々の世界には見えない。なんのエネルギーも得ることができない。

私だけでしょうか?教えて、サミーちゃん。

圭子

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2017年2月27日 (月)

「べっぴんさん」の不自然なシーンについて④

80年代バブル期に、「ちゃんちゃらおかP音頭」という曲が流行りました。今朝の「べっぴんさん」を見ながら、脳内で、この名曲がノンストップで流れ、ストーリーが頭に入らないほどでした。

ちゃんちゃらおかしいよ!このドラマ!!

今朝の驚きは、健太郎の爆弾発言でした。キヤリスの廊下に佇むさくらと健ちゃん。今日は配属先が決まり、健太郎は開発宣伝部へ。不満げな健ちゃん。「経営に関われると思うてたんやけど・・・」

え?何?今なんて?お茶を吹き出しそうなモーメントでした。

ここから私の脳内で「ちゃんちゃらおかP音頭」が流れ始めました。8時15分までずっと・・・

東大を出て、アメリカの大学でも経営を学んでました、とのこと。でも、普通、新卒で入社して、いきなり「経営に関わる」ってありえんでしょ?いくら経営陣の「息子」だと言っても。まずは、売り子とかからのスタートでもおかしくない。ついでに言えば、さくらがデザインの部署に配属されたのも、どうかなああ、って思う。ものを売る会社なので、最初は販売のセクションで顧客の動向を学ぶことも勉強になる。おかしい、すべてが、おかしい。

不自然すぎると思います。脚本を書いた方は、育児か何かに疲れていて、近所の暇な中学生あたりに「適当に15分時間を埋める感じで台本書いてみて。」とお小遣い渡して書かせたのでしょうか?社会、とか、会社、とかの世界を全く無視した、ちゃんちゃらおかしい話でした。

新卒のとき、大手の運輸会社に就職しました。もちろん、そういうときも、同期にはいきなり東京の本社の広報に配属、とか、地方の支店のきれいなビルの人事部に配属、という子もいました。大概きれいな女子は、手を汚さなくてもいい感じの部署に配属。私はむちゃくちゃ泥臭い、末端の、トラックターミナルにある事務所の営業事務として配属になりました。「事務」と言っても、荷受けもやっていたので、お客さんからの荷物を受けたりという仕事もしましたし、営業所の所長さんについて顧客に営業にまわったりもしました。荷物がどういう流れでお客さんのところまで運ばれていくかの流れも学べました。その会社には長くはいなかったけれど、大きな会社も、こういうそれぞれの小さな存在(ドライバーさんや、荷物を分けるスタッフ、荷受けをする人、などなど)に支えられ、成り立っているということが学べて、泥臭い現場に配属になった自分の方が、最初からきれいなビルの広報とかに配属になった奴らより、会社のこと、学べたと自負しています。

健ちゃん、さくら、まずは、会社に早く来て、先輩方の机の上をかたく絞った雑巾で拭いてまわる、とかしたらどないや!?経営とかデザインとか言い出すのは、もっと先でええから。

圭子

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2017年2月16日 (木)

「べっぴんさん」の不自然なシーンについて③

もうあかん・・・ 一体全体、このドラマの中の登場人物に、「こころ」はないのだろうか??タケちゃんの明美さんへの想い、についての周囲の対応、おかしいやろ!!??

もう少し奥行きのある話を描くとすると、

①タケちゃんが実は明美さんのことが好きで、明美さんと結婚したいと思っていることを知る。

②タケちゃんが明美さんとジャズバーで会うことを知る。

③心配なのでバーの隅でやりとりを見る。

④明美が「家族の死をもう経験したくない。だから誰とも結婚しない。」とタケちゃんに言うのを見る。

ここまではいいだろう。(バーの物陰で聞き耳を立てるのも変だが。)

だが、この後、どうして「タケちゃんにいい相手を見つけてあげよう(明美以外で)。」となるか?普通はメンバーの中のおせっかい(通常は主役)が「明美さん、それは違う!それはもちろん、家族の死を経験するのは非常につらいことだ。明美さんは若い時にそれを経験して大変だったのは、わかる。しかし、配偶者の死を恐れて、独身を貫くなんて、おかしいよ!一緒の時代に生まれてきて、偶然出会えたわけだし、これは奇跡的なことだよ。お互い好意を持っているはずだし、そんな臆病にならず、タケちゃんと前に向かって生きていくことを考えてみて!」と心からの気持ちを伝える。とか、もしくはタケちゃん自身が「明美さん!そんな理論納得できない!僕はもう何十年も、明美さんを想ってきたんだ。明美さんしか考えられない。約束する。明美さんを悲しませることはしない。明美さんより一日だけ、長生きする。絶対幸せにする。今までの身内が亡くなって悲しい思いをしたことを帳消しにするくらい、幸せにする。明美さんしか見えんのじゃ!」みたいな、劇的な熱いプロポーズ(必要なら抱きしめる、などのオプションも可)で明美のハートの氷を解かす、など、なんとでもできるのでは?あっさり諦めるタケちゃん。不自然だ。

挙句の果てに、あっさりと同郷の若い女の子と見合い、そして、その見合いの席になぜか明美が「タケちゃんのいいとこリスト」持って同席。怖すぎる。異常性すら感じる。リストを読み上げるときの明美の演出も、「アンドロイド」のようで、人間っぽさがなかった。

おかしいでしょ?ねえ。おかしいでしょ?不自然でしょ?そして、そもそもなんで周囲の皆、明美さんとくっつけようとせずに、すぐに見合い相手を探し出したの?薄情な気がする。ああ、ずっと思っていた違和感。「すみれ、きみちゃん、良子ちゃん」対「明美」の「3対1の関係」がずっと続いている。いつまでたっても、この3人(お嬢さんバックグラウンド)と1人(お手伝いさんの娘)という関係は「4人の一丸となって前へすすむ仲間」にはなっていない。明美だけずっと地味な色の服を着ているのも、気になる。登場人物たちの「こころ」の冷たさに、今日も違和感。

圭子

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2017年2月15日 (水)

「べっぴんさん」の不自然なシーンについて②

そもそも、なのだが、この「ぺっぴんさん」というドラマで、「仕事」のシーンがろくに描かれていないのは、なんでだろうか。「ファミリア」の創業者のうちの一人坂野惇子氏の生涯を「仕事」を通して描くんちゃうんか!?

最近のネタは「さくらの反抗期」、「タケちゃんの明美さんへの愛」、「キヨさんとちゅうさんの冒険」「ジローちゃんとサツキ、店を任される」などなど・・・ ビジネス外のネタばかりだ。キヤリスでのビジネスのシーンがほとんどない。キヤリスのシーンは、せいぜい大急百貨店の売り場での売り子さんとの会話とか、きみちゃんの家(兼ミシン工房)で、きみちゃんがスケッチブックに鉛筆で(まあ、こどものお絵描きみたいな)デザインを「ふーん」とか言いながら描いているシーンくらい。キアリスの商品に関しても「肌着は肌触りが大事やね。」みたいな「肌着」の話ばっか。他にも商品、あるだろう!?

非常に、非常に、不自然であーる!来月で終わるんだろ?このドラマ。もっとキヤリスのビジネス成功談、描いて~

それにしても、最近のシーンで一番びっくりしたのは、ジローとサツキが一緒になるいきさつが、突然登場したジローの弟の「お兄ちゃん、お父ちゃんが出て行ってしもうた。助けて。」だったことだ。あのときのジローの、宿命を恨むような顔・・・ そういう理由で東京には行けない、ということになり、その流れでサツキと一緒になることに。これって話の流れ的にどうなんだろうか?サツキと一緒に子供を育て、家族を作りたい、というだけの理由でよかったんじゃないか?あれでは「仕方ない、せっかく東京でドラマーとして頑張ろうと思ってたのに、オヤジが逃げてしまったのでは俺が実家の面倒を見るほか、ないじゃないか。それならもう人生諦めて、神戸で(我慢して)生きるしか、ないな。」みたいな流れでサツキと一緒になることになる。ひどい話だ!ひどい流れだ!

圭子

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2017年2月 8日 (水)

「べっぴんさん」の不自然なシーンについて①

今日から、見つけたときだけ、不定期に「べっぴんさん」に対して突っ込みを入れていこうと思います。もう、我慢できないよう・・・

今日のハイライト!

ゆりと潔の晩酌シーン。ゆりが「私もいただこうかな」と座り、二人で「生」でウィスキー飲みだしました!つまみもなく!チェイサーもなく!

どんだけ酒強いねん、ゆり!

圭子

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2017年2月 6日 (月)

「ボヴァリー夫人」-人生は、そう。救いようがないものなんだよ!!-

今、筑摩書房の「世界文学全集」で「ボヴァリー夫人」を読んでいる。眠れない夜に読むと、余計に眠れなくなる。ほぼ、死にたい気持ちになる。人生は、そう。救いようがないものなんだよ!!とフローベールがニヒルに笑いながら諭してくれるような、そんな気持ちになる。

映画「ボヴァリー夫人」のジャケットは、ミア・ワシコウスカ演じるエマと、エズラ・ミラー演じるレオンの濃厚なキスシーンが使用されているので、「閉鎖的社会に住む主婦が陥る不倫の世界」のようなイメージを見る者に与えるが、実際のところ、この「ボヴァリー夫人」という作品の底辺に流れるのは、「どの人生も、『ここにはないどこか』を求めているうちは、いつまでたっても不幸なのだ。」という教訓なのではないか、と私は思う。

平凡で面白みのない(しかし、決して妻を飢えさせたりはしない)夫、何もすることもない(しかし、家事は全てメイドがしてくれるので、楽な)日々。エマの周りには、川で寒い中洗濯したり、重い荷物を頭の上に乗せて運ぶ村人がたくさん生活している。生きるだけでも大変そうなそんな人からしたら、医師の妻として、綺麗なドレスを着て何不自由なく暮らしているエマは「幸福な人」だ。その当人は、自分を不幸のどん底だと嘆いている。毎日毎日変化のない日々を過ごす自分が不幸だと思っている。

これは、19世紀の田舎町の女性に限った物語ではない。どの時代も、現代の日本でも、同じなのだ。自分の置かれた状態を受け入れ、満足し、自分は幸せだと感じるのか、「ここにはないどこか」を常に望み、今置かれた環境を不幸だと感じるのか。自分の現状に満足することは、そんなに簡単なことではない。仏陀のように悟りの境地にいかないと、無理だろう。ほとんどの人間は「エマ」なのだ。私たちは、みな、「エマ」なのだ。だからこんなに時間がたっても、フローベールの「ボヴァリー夫人」は読み続けられているのであろう。今後も何度も「ボヴァリー夫人」は映画化されていくのであろう。

ミア・ワシコウスカの寂しげな、根本的な「不幸顔」がエマにぴったりだった。チャールズと結婚してすぐに「これは私が修道院時代に夢見てきたバラ色の結婚生活とは別物だ!」と感じ、勝手に不幸な気持ちに陥る。そんな状態では、村の名士で女の扱いに慣れた感じのマルキ(と字幕で訳されていたが、Marquis だとしたら、「侯爵」という意味では?)に簡単に堕ちてしまう。そして、すぐに飽きられてしまう。若く美しいレオンも、最初はエマの信奉者だったが、エマの方が熱い気持ちになっていくと、やはり、「鬱陶しい」という表情になっていく。しまいには、レオンにも捨てられる。

救いようのない話である。救いようがない形相で、まるでミレイの「オフィーリア」のように森の中でこの世と別れを告げるエマ。エマが砒素を飲んで一人でこの世を去っていることも知らず、エマの不幸な人生の傍観者だった夫チャールズや村人は松明を持って森を探し回るところでこの映画は終わる。

ああ、もしエマに打首獄門同好会の「フローネル」を聞かせてあげることができたら!!最近ものすごく落ち込むことがあり、本当に、砒素でもあればくいっと飲んでしまいたい、くらいの精神状態だったが、そのとき、友人から「これを聞いてみたまえ。」と紹介されたのが打首獄門同好会の曲「フローネル」だった。疲れたら温かい風呂に入り、休日には一度目が覚めてもまた布団にもどって二度寝する。こんな単純なことが、実は幸福なことなんだ、と改めて気づかせてくれるような、ある意味哲学的な曲だった。冗談抜きに、救われた、この曲に。劇中のエマは、今視野がかなり狭くなっていて(そりゃそうだろう、借金もかなりの額だ。)、にっちもさっちもいかない状態になっているが、少し視線を他にずらすと、十分「人生って悪くない。」と気づけていたはずだ。ほんの少しの工夫次第で砒素を食らって森で死ぬのか、劇中のオメーのように人生をうまくスムーズに生きていくのかの差が出る。ああ、エマよ。amazonで打首獄門同好会を買ってくれ・・・

ところで、この作品の中で、エマの忠実なメイド、アンリエット役を、「ダウントン・アビー」では「上階」のイーディスを演じているローラ・カーマイケルが演じていたことに驚いた。「下階」の地味な役も上手だった。

圭子

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